放浪の向こう側 Another World

海外放浪記/洋楽翻訳/個人コラム

ヨガ 本当の目覚め

f:id:gizmond:20180519191307j:plain

 

ヨガと初めて出会ったのは、もう10年近く前のことだ。

OLになって間もない頃、アフターファイブの習い事の代名詞とも言える

ヨガ教室に通い始めた。

その当時からホットヨガ、岩盤ヨガなど、エクササイズ感覚のヨガが

OL界では人気の習い事だった。

 

好奇心旺盛なミーハーOLの一人だった私は、ヨガにピラティス

キックボクシングと様々な習い事に時間とお金を投じていた。

ファッション感覚なカジュアルなヨガから

もう少し踏み込んだヨガの世界を知りたくて、

別のヨガ教室に移った。

 

しかし、まだその時はヨガというものの真髄に触れるという体験はなかった。

当時はとにかく自由になりたい、リラックスしたいという思いが強く

最後までその域を出ることはなかったためか。

私の意識は真理の道を目指すには、

遠すぎたのだと思う。

 

いつだって主観的な観念ばかり持ち続けていては

新しい世界が入ってこないのだ。

物事の「その先の世界」を見るためには

俯瞰して、自我を越えていかなくてはいけない、と思う。

 

それから4年間、私はすっかりヨガから遠ざかってしまった。

 

今、再び始めるきっかけとなったのは、

昔通っていたヨガ教室で知り合った一人の素適な女性からのアドバイスだった。

 

再びヨガに通い始めて約2ヶ月が経とうとしている今、

ヨガへの本当の目覚めが起きている。

 

開かれる感覚というのを、内側から実感したのは初めてだった。

ヨガは筋肉を締めたり緩めたり、ポーズをぐっとホールドしたり、解放したり

ボディをフル活用して感覚に意識を向ける。

よく言われていることだけれど、「今」を感じることがヨガの目的だ。

そしてどんなポーズをとっていても 

当たり前に存在している「呼吸」を忘れないこと。

 

心と体がつながっている感覚を取り戻して、

その先にあるものを見てみたいと思う。

 

海外生活を終え、開かれた世界であり風通しの良い社会

オーストラリア・ニュージーランドの余韻を残しながら帰国した。

我が国日本は、お世辞にも開かれた社会とは言えない。

むしろ保守的で、閉鎖的な文化だ。

 

オーストラリア・ニュージーランドで、心がオープンになれたのは

開放的でフレンドリーな環境が、外側からいざなうように私を解放してくれたからだ。

 

日本に帰国しても、しばらくその魔法は効いているが

またどっぷりと日本の空気に染まってしまうと、元の木阿弥で

また魂が委縮していくのを感じるのだった。

 

つまり、それは本当の解放ではなかったのだ。

海外における一つの作用で、悪く言えば海外かぶれである。

 

ここで、日本はだめでやっぱり海外がいい!

ということが言いたいわけではないし、

海外に行った意味がなかったということでは決してない。

 

私の場合は海外生活を経験したからこそ、

一旦自分の枠組みを壊すことで自由になれたし

心をオープンにするという感覚を知ることができた。

 

そしてこれからの課題は、外側の環境に頼らずして

本当の自分が、オープンで心が解放されている感覚を掴むことである。

ヨガは私をその開かれた世界へ、そっと導いてくれているのだった。