放浪の向こう側 Another World

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さくらももこさんのエッセイに綴られた数々の名言

53歳という若さで亡くなられた、作家のさくらももこさんご逝去の報道があってから、ネット上には漫画「コジコジ」の言葉が哲学的だといって取り上げられている。

 

小学生の頃から20年以上、さくらももこ先生の漫画やエッセイを読んできた私は、「コジコジ」だけに限らず、さくら先生の作品の多くが漫画やエッセイの枠を越えた哲学的な要素を含むものであるということを伝えたいという思いが込み上げてきた。

さくら先生を偲んで、以下にエッセイより抜粋したいくつかの名言をご紹介したい。

 

まず、「おんぶにだっこ」

作者が幼少期(2~3才頃)のエピソードを綴ったエッセイから。

 

“人間の根源的な部分への帰還。人間の思考回路の仕組みに気がついた時や善悪の判断や、死の概念等、ある時、いつか誰でも気がついた時があったはず。それは人格形成への大きな影響を及ぼした瞬間であり、すごくシンプルな自分の魂の骨格が見えてくるだろう”

 

“ひとつひとつの経験の中で、いろいろな意味に気づきそれについて悩み、苦しみ、そして理解し、そこから生まれた知恵を次につなげて成長してゆく。理解から生まれた知恵は美しい。経験を、単に場数として捉え、そこに含まれる意味を見逃し、知識だけを増やし、小手先だけが器用になっている人もいる。そういうのは汚い大人に見えると思う。知識は約に立つ。でも道具にすぎない。それをきちんと利用できるのが知恵だ。”

 

続いて、作者自身の妊娠、出産体験記エッセイ「そういうふうにできている」。

 

“渦中にいる時にやたら深刻になっているだけにすぎないのだ。そう思うと、あらゆる出来事の渦中にいる時にその流れを俯瞰で見る事のできる冷静さを持つ事は非常に大切である。”

 

帝王切開の手術中、脳と心と魂の関係について想いを馳せる場面がある。

“私は手術開始からほどなく、自分自身が肉体とは別のエネルギーの波動である事を実感としてとらえていた。それはただただゆるやかで静かで心地よく、宇宙空間を漂っているようであった。”

 

“では、“心”とは何か。“脳”は単なる肉体の一部のコンピューターシステムにすぎず、“心”と呼ばれるものに付随する愛や温かさのような曖昧なものを生産しない。一方、“意識”は感覚のみのエネルギーの波動であり、“心”のように言語を駆使するシステムを持たない。“心”は“脳”でも“意識”でもないとすると、何なのか?

今回の発見で一番面白いところがここである。“心”に実体はなかったのだ。“脳”は肉体の一部であり、“意識”はエネルギーだ。だが“心”は実在するものではない。“心”とは、状態のことだったのである。“意識”が、肉体の一部品である“脳”を使い言語で思考したり感情や情報を伝達したりしてこの世で生活してゆくという、その“意識”が脳を使用している状態が“心”なのである。”

 

最後に、青春というテーマで、漫画家デビューにいたるまでの苦悩の道のりが綴られた

「ひとり相撲」。

少女漫画志望で漫画を投稿し続けるも、ことごとく落選。

一時は漫画を仕事にするという道をあきらめ、お笑い芸人を目指し、好きな落語の寄席を聞きにいったりしていた頃もあったそうだ。

さくらももこというペンネームも、もともとはお笑い芸人になった時の芸名として考えた名前であったと語る。

そんな作者に転機が訪れたのが、高校生最後の夏休み。短大国文科への推薦入学の作文の模擬試験を受けた際、気軽に書いた作文が「エッセイ風のこの文体は、とても高校生の書いたものとは思えない。清少納言が現代に来て書いたようだ。」と先生に絶賛される。

この時にふと、エッセイを漫画で描いてみたらどうだろうかと思いつき

そしてここから「ちびまる子ちゃん」の原点となる自身の体験を元にしたエッセイ漫画の誕生へとつながる。

 

“ひとつのスタイルをずっと追い続けてなかなか上手くゆかなかったら、もしかしたら人生の莫大な時間をムダにしてしまうかもしれない。自分のできる事と自分のレベルを冷静に自覚し、それなりの手応えを感じれば、まっしぐらに挑戦する時期がある事はずばらしいと思うが、状況に応じて対応できる柔軟な心というのも非常に大切だと私は思う。”

 

“毎日、人の数だけ違う事が起こっている。同じ日なんて無い。一瞬も無い。自分に起こる事をよく観察し、面白がったり考え込んだりする事こそ人生の醍醐味だと思う。”

 

“さくらさんの夢は何ですか、ときかれる事もあるが、私は具体的に何かをどうこうしてこうなりたいという夢なんて無い。ただ言える事は、ああ面白かった、満喫したなァと感じながら死を迎えられるように生きてゆきたいというのが、夢というより希望だ。”

 

そして、あとがきの最後にはこんなメッセージが

 

“青春の時期というのは、やみくもに夢だとかああなりたいとかこうなりたいとか思いがちだが、人生って夢やイメージではなく、毎日毎日が続いてゆくものであり、人間が一日にできる事といったらホントにちょっとだけだし、ちょっとだけしかできない事を、楽しんだり味わったりしてゆく気持ちを若い頃から忘れないでいて欲しいと思う。もう若くないよという皆様も。”