放浪の向こう側 Another World

海外放浪記/洋楽翻訳/個人コラム

さくらももこさんのエッセイに綴られた数々の名言

53歳という若さで亡くなられた、作家のさくらももこさんご逝去の報道があってから、ネット上には漫画「コジコジ」の言葉が哲学的だといって取り上げられている。

 

小学生の頃から20年以上、さくらももこ先生の漫画やエッセイを読んできた私は、「コジコジ」だけに限らず、さくら先生の作品の多くが漫画やエッセイの枠を越えた哲学的な要素を含むものであるということを伝えたいという思いが込み上げてきた。

さくら先生を偲んで、以下にエッセイより抜粋したいくつかの名言をご紹介したい。

 

まず、「おんぶにだっこ」

作者が幼少期(2~3才頃)のエピソードを綴ったエッセイから。

 

“人間の根源的な部分への帰還。人間の思考回路の仕組みに気がついた時や善悪の判断や、死の概念等、ある時、いつか誰でも気がついた時があったはず。それは人格形成への大きな影響を及ぼした瞬間であり、すごくシンプルな自分の魂の骨格が見えてくるだろう”

 

“ひとつひとつの経験の中で、いろいろな意味に気づきそれについて悩み、苦しみ、そして理解し、そこから生まれた知恵を次につなげて成長してゆく。理解から生まれた知恵は美しい。経験を、単に場数として捉え、そこに含まれる意味を見逃し、知識だけを増やし、小手先だけが器用になっている人もいる。そういうのは汚い大人に見えると思う。知識は約に立つ。でも道具にすぎない。それをきちんと利用できるのが知恵だ。”

 

続いて、作者自身の妊娠、出産体験記エッセイ「そういうふうにできている」。

 

“渦中にいる時にやたら深刻になっているだけにすぎないのだ。そう思うと、あらゆる出来事の渦中にいる時にその流れを俯瞰で見る事のできる冷静さを持つ事は非常に大切である。”

 

帝王切開の手術中、脳と心と魂の関係について想いを馳せる場面がある。

“私は手術開始からほどなく、自分自身が肉体とは別のエネルギーの波動である事を実感としてとらえていた。それはただただゆるやかで静かで心地よく、宇宙空間を漂っているようであった。”

 

“では、“心”とは何か。“脳”は単なる肉体の一部のコンピューターシステムにすぎず、“心”と呼ばれるものに付随する愛や温かさのような曖昧なものを生産しない。一方、“意識”は感覚のみのエネルギーの波動であり、“心”のように言語を駆使するシステムを持たない。“心”は“脳”でも“意識”でもないとすると、何なのか?

今回の発見で一番面白いところがここである。“心”に実体はなかったのだ。“脳”は肉体の一部であり、“意識”はエネルギーだ。だが“心”は実在するものではない。“心”とは、状態のことだったのである。“意識”が、肉体の一部品である“脳”を使い言語で思考したり感情や情報を伝達したりしてこの世で生活してゆくという、その“意識”が脳を使用している状態が“心”なのである。”

 

最後に、青春というテーマで、漫画家デビューにいたるまでの苦悩の道のりが綴られた

「ひとり相撲」。

少女漫画志望で漫画を投稿し続けるも、ことごとく落選。

一時は漫画を仕事にするという道をあきらめ、お笑い芸人を目指し、好きな落語の寄席を聞きにいったりしていた頃もあったそうだ。

さくらももこというペンネームも、もともとはお笑い芸人になった時の芸名として考えた名前であったと語る。

そんな作者に転機が訪れたのが、高校生最後の夏休み。短大国文科への推薦入学の作文の模擬試験を受けた際、気軽に書いた作文が「エッセイ風のこの文体は、とても高校生の書いたものとは思えない。清少納言が現代に来て書いたようだ。」と先生に絶賛される。

この時にふと、エッセイを漫画で描いてみたらどうだろうかと思いつき

そしてここから「ちびまる子ちゃん」の原点となる自身の体験を元にしたエッセイ漫画の誕生へとつながる。

 

“ひとつのスタイルをずっと追い続けてなかなか上手くゆかなかったら、もしかしたら人生の莫大な時間をムダにしてしまうかもしれない。自分のできる事と自分のレベルを冷静に自覚し、それなりの手応えを感じれば、まっしぐらに挑戦する時期がある事はずばらしいと思うが、状況に応じて対応できる柔軟な心というのも非常に大切だと私は思う。”

 

“毎日、人の数だけ違う事が起こっている。同じ日なんて無い。一瞬も無い。自分に起こる事をよく観察し、面白がったり考え込んだりする事こそ人生の醍醐味だと思う。”

 

“さくらさんの夢は何ですか、ときかれる事もあるが、私は具体的に何かをどうこうしてこうなりたいという夢なんて無い。ただ言える事は、ああ面白かった、満喫したなァと感じながら死を迎えられるように生きてゆきたいというのが、夢というより希望だ。”

 

そして、あとがきの最後にはこんなメッセージが

 

“青春の時期というのは、やみくもに夢だとかああなりたいとかこうなりたいとか思いがちだが、人生って夢やイメージではなく、毎日毎日が続いてゆくものであり、人間が一日にできる事といったらホントにちょっとだけだし、ちょっとだけしかできない事を、楽しんだり味わったりしてゆく気持ちを若い頃から忘れないでいて欲しいと思う。もう若くないよという皆様も。”

 

静寂を聴くということ The Sound of Silence - Simon & Garfunkel - 洋楽の和訳

この曲の和訳は冬まで待とうと思っていた。

サイモン&ガーファンクルといえば、冬だ。

木枯らしの中、石畳の路地裏をコートの襟を立てて歩く冬の散歩道。

 

でも見つけてしまったんだ。

素晴らしいカバーを。だから季節を前倒しで和訳することにした。

 

シアトル出身のNouelaというシンガーで

声だけではなく、息づかいまでもが美しい。

そして控え目なピアノの伴奏。

文字通り、静寂という名の音のなかで歌っているんだ。

 


Nouela The Sound of Silence

 

Hello darkness, my old friend 

暗闇よ、こんにちは 私の古い友人よ

I've come to talk with you again 

また君と話をするためにやって来たよ

Because a vision softly creeping 

Left its seeds while I was sleeping 

なぜなら僕が寝ている間に

空想がゆっくりと這うように種を落とし

 

And the vision that was planted in my brain

そして僕の頭の中に植えつけていったから

Still remains 

Within the sound of silence 

そして静寂の音の中で

今も息づいている

 

In restless dreams I walked alone

休まることのない断続的な夢の中で

僕は独りで歩いていた

Narrow streets of cobblestone 

狭い石畳の道を

Neath the halo of street lamp

 街頭の光の下を

I turned my collar to the cold and damp 

僕は寒さでコートの襟を立てたよ

When my eyes were stabbed by the flash of a neon light

ネオンの光が僕の目を突き刺す 

That split the night 

それは夜の闇を引き裂いて

And touched the sound of silence 

そして静寂という名の音に触れたんだ

 

And in the naked light I saw 

むき出しの光の中で僕は見た

Ten thousand people, maybe more

一万人、いやそれ以上の人々を 

People talking without speaking

彼らは自らの声をあげることなく対話をし

People hearing without listening

耳を傾けることなく、ただ聴いているだけ

People writing songs that voices never shared

そして彼らが書いている歌詞は、永遠に分かち合うことのない声なんだ

And no one dared 

Disturb the sound of silence

でも、その静寂の音に誰も一石を投じようとはしないんだよ

 

Fools, said I, you do not know

愚か者よ、君は何も分かっていない

Silence like a cancer grows

静寂とは癌のように肥大していくものなんだ

Hear my words that I might teach you 

君を導くであろう僕の声を聞いてくれ

Take my arms that I might reach you

君に差し伸べる僕の腕を頼ってくれないか

 

But my words, like silent raindrops fell

でも僕の言葉は、静かな雨の雫のごとく

And echoed in the wells of silence 

静寂という名の壁にこだまするだけ 

 

And the people bowed and prayed 

To the neon god they made

その人々は、彼らがこしらえた偶像の神に跪き、祈ったが

And the sign flashed out its warning 

その神が告げたのは警告の言葉だった

In the words that it was forming 

And the sign said, the words of the prophets are written on the subway walls 

お告げによると、予言の書は地下鉄の壁や

And tenement halls 

集合団地に書かれているんだと

And whispered in the sounds of silence 

静寂の音の中で囁いていた。

 

【補足】

曲の冒頭は、断片小説のような出だしで

映画のワンシーンのような風景が浮かび、詩的な歌という印象を受ける。

しかし、それは単なる序章に過ぎず、本題は静寂(The sound of silence)の中で繰り返し語られている社会に対する警告だろう。

 

英語圏ウィキペディアによると、この曲の起源については明らかにはなっておらず、いくつかの捉え方がある。

その一つに、この曲はケネディ暗殺事件についてコメントしたものだという分析があるが、それに対してサイモン氏は、「この曲は僕が21歳の時に作ったもので、それはケネディ暗殺事件が起こるずっと前のことだ」と言及している。

そして「この曲はバスルームで作ったんだ。集中度を高めるために、電気を消してね。僕はよくバスルームで曲を作ってたよ。タイルが音を反射して、エコーがかかる感じがいいんだ。」とのこと。

 

一方、相方のガーファンクル氏は「この曲は、現代における人々のコミュニケーション力の欠乏、それは国際的なコミュニケーションとかそういうレベルではなく、もっと基本的な感情のコミュニケーションだ。それが無いために、お互いを愛することができずにいる」とまとめている。

 

また、最近のインタビューの中でサイモン氏は

「21歳のあなたは、この歌詞をどのようにとらえていたか?」という質問に

「分からない」という一言でまとめている(笑)

 

聞こえるもの、目に見える世の中に溢れかえっているものではなく

静寂の音を聴け、ということだろうか。 

さくらももこさんの訃報を知って

さくらももこさんが乳がんのため死去”という速報のテロップを見て

一瞬固まってしまった、信じられなかった。

 

最近エッセイの新刊がでないなぁと、数年前から気になっていたが

まさか7年前から闘病生活を送られていたとは…

 

私が小学校1年生の時に、叔父が「ちびまる子ちゃん」を買ってくれた。

これが私が手にした初めての漫画だった。

それから20年以上が経った今でも私の手元に残っている

私の人生において、一番長く時間を共にしてきた本たちと言える。

 

幸せって、たぶんこうゆうもんなんだろうなぁというエッセンスがつまっていて

読者を温かい気持ちにさせてくれる。

私にとって、人生のバイブルといっても過言ではない。

 

エッセイもまた卓越していて、鋭い観察眼によって切り取られた日常が

シュールな笑いとともにたんたんと綴られている

小難しい内容ではなく、文体はシンプルなのだが、

あの独特な世界観は、やはり唯一無二のものである。

 

実家に戻るたびに、まず漫画の「ちびまる子ちゃん」を、そしてエッセイを

何度も読み返していた。

 

しばらく時間が経って、また思い出したように手に取って読みたくなる。

その懐かしい風景に帰りたくなる。

 

漫画とエッセイ界の故郷を創ってくれた、さくらももこ先生。

本当にありがとうございました。

 心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

夏の終わりに想うこと、あの日の旅路

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窓の外、夕焼けが綺麗だった。

夏の夕焼けはどこか薄ぼんやりしていて、

淡いようでいて、鮮明な色彩のグラデーション。

まるで遠い日の思い出みたいだな、とふと思った。

もう頭の中では薄れかけているのだけれど、

心の中では今も鮮やかに息づいている。

そんなノスタルジーに浸って夕涼みをしていたら

意識はいつかの思い出へとトリップしていた。

 

場所はジェフ・バックリ―のハレルヤに出会った、海の見える宿。

その日、私は早く起きて出発の支度を整えていた。

 

次の目的地は南の方角、

交通手段、ヒッチハイク

 

身支度を整えて、宿のオーナーに挨拶をする。

するとご主人は、「君のことはずっと忘れないよ」と言ってくれた。

私は何か印象深いことをしただろうか?と振り返ってみたが

思い当たることと言えば、

夜、雨の中を友達と釣りに出かけて行ったこと、

そして、目の前の海から毎日アサリを採って

その出汁で料理をしていたということ。

言ってみれば、やや縄文人のような生活をしていたことであろうか。

 

とにかく、その宿は居心地が良い場所だった。

そうゆう場所に身をうずめると、人間が本来持っている原始的な意識が

少しずつであるが目覚めるのかもしれない。

 

そんなことを考えながら、重たいバックパックを担いで

宿の目の前の道路でヒッチハイクを開始する。

 

親指を立てて、手をまっすぐに伸ばし、行きかう車に向かって視線を送る。

ヒッチハイクは言うまでもないが、運と、忍耐すなわち己との戦いの上に成り立つ、

極めて地道な作業なのである。

そして身の危険が及ぶかもしれないことも、もちろん想定しておかなければならない。

しかし、そんな緊張感の中、その先の展開は神のみぞ知るという明け渡しの精神も重要になってくる。

この緊張と明け渡しのはざまを肌で感じることができるのがヒッチハイクの醍醐味ともいえる。

 

その日も気持ちを引き締めて、長丁場覚悟で道に立っていたのだが

ヒッチハイク開始後5分もしないうちに、一台のえんじ色の車が停まった。

その車に向かって、いそいそと駆け寄る私。

「目的地はどこ?」と笑顔でその男性は聞いた。

 

視界に飛び込んできた車の内装は、一言で表現するとQUEENフレディ・マーキュリーだ。年の頃は40代後半といったところだろうか。

サイケデリックにロックンロールとニューエイジが入ったような。

ダッシュボードにはクリスタルのアメジストが置かれていた。

文面で伝えれば伝える程、怪しい印象になってしまうのだが

私の肚は、この人は悪い人ではないことを悟っていた。

 

「Thames(テムズ)に行きたいんですけど」と行先を告げる。

ルート25を車で走らせて45分のその町は、この辺りでは一番大きな町で

行き交う車のほとんどがその町を目指して走っていた。

世界観がフレディのそのおっちゃんは、「僕もその町に行くところさ」という

期待通りの答えが返ってきた。

「良かった!」私はバックパックを後部座席に乗せ

そして助手席に座った。

 

まず簡単な自己紹介から始まって、私はニュージーランドまで来た経緯や

かれこれ3年近く旅をしていること 

加えてトレッキングが好きで、オーストラリアやニュージーランドのいくつかの山に登った話、そしてその旅も終焉を迎えて、数週間後には日本に帰ることなどを話した。

 

「僕も昔はアウトドア派で山登りをしたり、乗馬をしたりしていたんだけどね…」と

話し始めたフレディの座席横にはサイケデリックな模様をした杖が置いてある。

若い頃、ビルのメンテナンス会社で働いていて

ガラスの破片が足に刺さり、片足が不自由なったのだという。

それ以来、以前のような会社勤めが難しくなり

もう10年以上、政府からの援助を受けて生活しているそうだ。

 

「生活には困っていないよ、でもやっぱり仕事がしたいな」

明るい口調でフレディは言ったのだけれど、それは痛切な願いだろう。

それからフレディは話題を変え、彼が若かりし頃にヒッチハイクをしたが

誰にも拾ってもらえず、結局何時間も道路を歩いた苦い経験などを話してくれた。

 

話しているうちに、あっと言う間にテムズに着いた。

「僕はこれから郵便局に行くんだけど、その前に君を行きつけのお店に案内したいんだ。」

フレディはそう言って、町のクリスタルショップに連れていってくれた。

「君の好きな色は何色?」

と聞かれ、思いもよらない言葉にまごまごしていると、

フレディは「これなんかいいんじゃない?」

と、私の前に差し出した。

それは乳白色のクリスタルで、淡い虹色のような色が入っていて

光の角度によって、色を変えていく、

純粋で透明な様々な色が交じり合って、溶け合っている。

 

フレディはそのクリスタルを私にお守りとしてプレゼントしてくれたのだ。

 

思いがけないことで、頭が真っ白になり

どのように感謝の言葉を述べたのかは、今となっては全く思い出せないのだが

どんな言葉でも形容できない程、私は胸を打たれたことは鮮明に覚えている。

 

出会ったばかりの人から受けた思いがけない親切が、

どれだけ人の心を動かし、豊かな思い出になるだろう

そうやって知らない人同士が、優しさで繋がれていったら

この世界はどんなに平和になるんだろうって

感動のあまり、おもわず世界平和にまで想いを馳せてしまった。

 

日本の夏の夕焼けからフラッシュバックした思い出のクリスタル。

これからも、淡くノスタルジックな美しさに触れるたびに

このクリスタルのこと、フレディのおっちゃんのことを思い出すんだろう。

そしてフレディの幸せを祈るんだ。

それが旅路で出会い、別れた人たちに贈ることができる

唯一のプレゼントなのだと思う。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洋楽の和訳 Shape of My Heart - Sting - 本当の心のカタチ

なんだろう、梅雨のこのすっきりしない天気。

気圧と湿気が徒党を組んで、神経細胞を攻撃しているとしか思えないような

モヤモヤした頭。

 

そんな時は、決まって哀愁漂う洋楽が聴きたくなる。

そうして選んだのが、言わずと知れた大御所スティング先生の

1993年にリリースされた「Shape of My Heart」 だ。

 

恥を忍んで言ってしまうと、私は今までスティングの曲を一曲たりとも聞いたことがなかった。

 

ついでに言ってしまえば、この曲がエンドクレジットになっている

かの有名な映画「LEON」も観ていない。

 

まずは和訳して、この曲の世界観にどっぷりはまってみようじゃないか。

そして梅雨が明ける前に、映画「LEON」も観てみようか。

良い音楽、良い映画すべてに触れるには、人生は短い。

 


Sting - Shape of My Heart (Leon)

 

He deals the cards as a meditation 

彼は瞑想しているかのようにカードを配る

And those he plays never suspect 

相手に決して気づかれないように

He doesn't play for the money he wins 

彼は金欲しさにギャンブルをしている訳じゃない

He don't play for respect 

それに名誉のためでもない

He deals the cards to find the answer 

彼は答えを見つけるために、カードをきっているんだ

The sacred geometry of chance 

それは神聖な幾何学の可能性

The hidden law of a probable outcome

おそらくすべてのものが行き着く先の隠された法則 

The numbers lead a dance 

数字はその答えを導き出してくれるんだ

 

I know that the spades are the swords of a soldier 

知っているさ、スペードが形どっているのは兵士の剣

I know that the clubs are weapons of war

クラブは戦士の武器

I know that diamonds mean money for this art 

ダイヤモンドはその戦利品ってとこかな

But that's not the shape of my heart 

でもそれは俺の心はそんなものを求めてはいない

 

He may play the jack of diamonds

彼はダイヤのジャックで勝負に挑むかもしれない

He may lay the queen of spades 

スペードのクイーンに賭けるかもしれない

He may conceal a king in his hand

それか、キングを手の中に隠し持っているかもしれない

While the memory of it fades

だけれど記憶は色褪せていく

 

I know that the spades are the swords of a soldier 

知っているさ、スペードが形どっているのは兵士の剣

I know that the clubs are weapons of war

クラブは戦の武器

I know that diamonds mean money for this art 

ダイヤモンドはその戦利品ってとこかな

But that's not the shape of my heart 

でも俺の心はそんなものを求めてはいない

That's not the shape 

それは俺の心が

The shape of my heart 

 俺の心が求めているものじゃない

 

If I told you that I loved you 

もし俺が愛してるって言ったら

You'd maybe think there's something wrong

君は俺がどうかしちゃったかって思うだろ

I'm not a man of too many faces 

俺はいくつもの顔を持っているような器用な男ではなくて

The mask I wear is one 

俺が身に着けている仮面はたった一つだけなんだ

 

But those who speak know nothing 

でも奴らは何も分かっちゃいない

And find out to their cost 

そして彼らは多くを失うことになる

Like those who curse their luck in too many places 

And those who fear are lost 

あちこちで幸運を追い求めて、そして常につきまとう恐怖に耐え切れず

最終的にすべてを失うのさ

 

I know that the spades are the swords of a soldier 

知っているさ、スペードが形どっているのは兵士の剣

I know that the clubs are weapons of war

クラブは戦の武器

I know that diamonds mean money for this art 

ダイヤモンドはその戦利品ってとこかな

But that's not the shape of my heart 

でも俺の心はそんなものを求めてはいない

That's not the shape 

それは俺の心が

The shape of my heart 

 俺の心が求めているものじゃない

 

 

【補足と所感】

この曲の主人公はギャンブラーで、彼は金や名誉よりも

もっと別な何かを掴もうとしている、という話だ。

その何かとは、一種の神秘的な幸運の法則のような、すべてのものが行き着く先にある普遍的なロジック。

 

曲の中にでてくるフレーズ、「兵士の剣」、「戦士の武器」

「戦利品のダイヤモンド」

これらは戦争を彷彿とさせるけれど、きっと戦争にかぎらず

あらゆる競争原理の上になりたっている事象の隠喩ではなかろうか。

 

「でも奴らは何も分かっちゃいない」

「あちこちで幸運を追い求めて、そして常につきまとう恐怖に耐え切れず

最終的にすべてを失うのさ」

奴らとは、他のギャンブラー達、つまり競争社会に飲み込まれ、

身を投じてすべてを失い堕落する人々。

そんな奴らを、ポーカーフェイスの彼は静かに見つめている。

そして、

That's not the shape of my heart 「俺の心はそんなものを求めてはいない」と。

 彼は奴らとは違い、何か高尚なものを、その答えを求めている存在だ。

 

しかし、彼の心の形はどんなものなのか、は語られていない。

なぜなら、ギャンブラーである彼は常に仮面をかぶっているからだ。

 

本当は愛していると伝えたい相手がいるのに、

仮面をつけて生きている自分にはそんな価値はない

という悲痛な叫びにも聞こえる。

彼もまた、自分の本当の心の形「Shape of My Heart」を探して彷徨っているのではないだろうか。

 

 総じて私がこの曲から受けたメッセージは、

低俗で物質的なものであれ、高尚で神秘的なものであれ

人はそれを求めれば求めるほどに、自分の本当の心の形が分からなくなっていくという社会におけるパラドックスだ。

 

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浜ゆでにされた占いタコのラビオ君 私達は喜ばしくない真実より心地良い嘘を求めるものなのか

今日私はまた、あの奇跡の洋食屋さんにいた。

 

開店と同時に入店し、まだ他の客が誰もいないお店には

レトロなラジオからニュースが流れており

ランチを食べながらぼんやりと聞いていた。

 

W杯の勝敗を占うタコとして、一躍有名になったタコのラビオ君。

生けすで保管と説明されていたが、実はすでに浜ゆでにされて出荷されていた、

というなんとも可哀想なニュースだった。

「一度水揚げされたタコは急速に弱って、鮮度が落ちてしまうため

浜ゆでして出荷された」ということらしいが

嘘の説明をしていたことについて水産会社は

「出荷したと言ってしまうと、夢がなくなると思った」と述べている。

 

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これはたまたま見つけた海外の風刺画だ。

 

私たちが無意識に(あるいは意識的にも)メディアに求めているもの

「COMFORTING LIES」心地よい嘘 である。 

そしていつの時代も人気がないのが、「UNPLEASANT TRUTHS」喜ばしくない真実だ。

これはメディアに限らず、人生のあらゆる局面で言えることであろう。

 

 

そして2代目ラビオ君なるものは、次の日本対ベルギー戦当日に

水揚げされることになっており、彼はW杯終了まで生かされる予定だとか。

 

なんか、どこまでも人間都合だよなーと。

どうも生き物をおもちゃにしているんじゃないかと、憤慨してしまうのは

私だけだろうか。

 

 

今頃どこかの家の食卓に上がっているであろう、初代ラビオ君。

お勤めお疲れ様でした。どうか安らかにお休み下さい。

 

サッカーの勝敗にさほど興味のない私が今気になっているのは

W杯終了後の2代目ラビオ君の運命のゆくえである。

どうか、どこかの水族館に保護してもらうとか、もし可能であれば

また海に返してあげてほしいと願うばかりだ。

 

【追記】

2代目ラビオ君の予想は的中することなく、日本はベルギーに敗退した。

日本代表選手帰国。成田空港には800人もの人達が出迎えた。そして西野監督の退任。

今もニュースはW杯の興奮の余韻で盛り上がっている。

果たして2代目ラビオ君はどうなったのだろうか?

梅雨空の下、モヤモヤとしたものが今も胸の中をうずまいている。

 

洋楽の和訳 カバーが原曲を越えてる Hallelujah  ージェフ・バックリィ―

原曲はレナード・コーエン1984年にリリース。

ジェフ・バックリィーのカバーは1994年に発表され、彼の唯一のコンプリートアルバム「Grace」の中に収録されている。

しかし、その3年後、彼は30歳という若さでこの世を去った。

彼の死からしばらくの年月が流れ、2004年には雑誌Rolling Stonesの、時代を超えた名

曲500選に選ばれている。

 

私はむしろ原曲を知らずに、ジェフ・バックリィーのカバーから入った。

初めて聴いたのは、たかだか数年前のことだ。

 

ニュージーランドはTairua(タイルア)という小さな町にあるバックパッカーに泊まっていた時。

その日は他の宿泊客が一人もおらず、私は一人でリビングにいた。

テレビは旧式で、使い方がよく分からずあきらめ

その隣にあったラジオを聴いていた。

その時に流れてきたのが、ジェフ・バックリィーのHallelujahだった。

知らない町に一人で泊まっていたんだけれど、なぜか心地良い安心感があって。

どことなしか、祝福されているような気持ちになったんだ。

 

ハレルヤって「神を褒め称えよ」とかいう意味だったっけかな。

知らない土地の、ラジオから聴こえるこの歌が讃美歌のようでもあり

あぁ、なんか一瞬にわかクリスチャンになったりもして。

 

しかし、実際に歌詞を見ると、どうやらこれはラブ・ソングで

愛の苦悩を歌ったものらしいことが分かる。

Hallelujahを所々、I love youに置き換えて訳すとしっくりくると言っている人がいて、

本当にその通りだと思った。

I love you という言葉だけではなく、「愛」というものを神聖な言葉を用いて

ここではHallelujahと表現しているんじゃないかな。

この曲の解釈は色々あり、宗教的ソングだと言う人もいるけれど、

総じて言うと私の解釈はやっぱり、ちょっとせつないラブ・ソングなんだ。

 


Jeff Buckley - Hallelujah (Official Video)

 

 Well I've heard there was a secret chord 

この世には、秘密のコードがあるって聞いたことがあるんだ

That David played and it pleased the Lord

それでダビデが演奏して、主人を喜ばせたんだってさ

But you don't really care for music, do you? 

でも君は音楽なんて全然興味ないだろ?

Well it goes like this: 

ちなみにそのコード進行っていうのが

The fourth, the fifth, the minor fall and the major lift

 C, F, G , A minor , Fで 

The baffled king composing Hallelujah

苦悩の果てに王が作曲した“ハレルヤ”(愛の歌)だったんだ

 

Hallelujah

Hallelujah

Hallelujah

Hallelujah

 

Well your faith was strong but you needed proof

君の信念はとても強いけれど、それを証明する何かを必要としていた

You saw her bathing on the roof

そして、君は彼女が屋根の上で体を洗っているところを見てしまったんだ

Her beauty and the monnlight overthrew ya

その時の彼女のその美しさは月の光とともに君の上に降り注いでいた

She tied you to her kitchen chair 

And she broke your throne and she cut your hair

彼女は君を台所の椅子に縛り付けて、

君の王位を叩き壊して、君の髪も切ってしまった

And from your lips she drew the Hallelujah 

そして君の唇からハレルヤ(愛してる)という言葉をひきだしたんだ

 

Hallelujah

Hallelujah

Hallelujah

Hallelujah

 

But baby I've been here before 

でもね、ベイビー、この場所には前にも来たことがあるんだ

I've seen this room and I've walked this floor

この部屋も見たことあるし、この床も歩いたことがある。

You know, I used to live alone before I knew ya

そうさ、君と出会う前はかつてこの場所に独りで住んでいたんだから。

And I've seen your flag on the marble arch

それから僕は凱旋門にはためく君の旗を見て

And love is not a victory march

そして悟ったんだ。

愛は勝利を称える行進曲なんかではなく

It's a cold and it's a broken Hallelujah

冷たく歪んだハレルヤなんだと

 

Hallelujah

Hallelujah

Hallelujah

Hallelujah

 

Well there was a time when you let me know

What's really going on below 

何が僕たちの水面下で起こっているかを

君が僕に教えてくれるための時間はあったけれど

But now you never show that to me do ya

でも、君は決してそれを打ち明けてはくれないね

But remember when I moved in you 

思い出してほしいんだ、僕が君の場所に引っ越してきた時

And the holy dove was moving too

愛と平和の象徴である鳩も、僕たちを祝福するかのようにやって来たんだ

And every breath we drew was Hallelujah

そして僕たちの息づかいの、そのすべてがハレルヤ(愛)を描いていたんだよ

 

Hallelujah

Hallelujah

Hallelujah

Hallelujah

 

Maybe there's a God above 

たぶん、神様は僕たちの頭上にいる

But all I've ever learned from love

でも僕が愛というものから学んだすべてのことは

Was how to shoot somebody who outdrew ya

傷つくことを恐れるが故の自己防衛ばかりだった

And it's not a cry that you hear at night 

そして君が夜な夜な耳にするのは、涙の音でなくて

It's not somebody who's seen the light 

光のほうを見続けている、誰かでもない

It's a cold and it's a broken Hallelujah

それは冷たく歪んだ、ハレルヤなんだ

 

Hallelujah

Hallelujah

Hallelujah

Hallelujah

 

【補足&個人的に好きなフレーズ】

 まず、コード進行であるが、曲の冒頭で

The fourth, the fifth, the minor fall and the major lift

 C, F, G , A minor , F

と歌詞にある通り、実際にこの曲はCコードで始まっている。

<参考元:Wikipedia

 

次に、2か所にでてくるDrew(Drawの過去形)という単語。

同じ単語を違う意味で詩的に使い分けている、このセンスが個人的にツボです。 

①And from your lips she drew the Hallelujah

 

②And every breath we drew was Hallelujah

 

Drawという単語には、絵画などを描くという意味と

~を引っ張る、引き出す という意味があるんだけれど

①の、相手の唇から愛してるという言葉を引き出す(相手に愛していると言わせる)と、

②息づかいのすべてが愛を描く

うんうん、なんとも良い表現だ。

 

続いて、終盤に出てくる

Was how to shoot somebody who outdrew ya

 

これを直訳すると、(愛から学んだのは)誰かに撃たれる前に撃つ

つまり、誰かに傷つけられる前に誰かを傷つける

なんだけれど、愛に傷ついた人々が無意識のうちに身に着けてしまうのは

攻撃性の場合もあるけれど、これ以上傷つかないための

自己防衛の方がなんだかしっくりきたので

ここは、傷つくことを恐れるが故の自己防衛ばかりだったと訳してみました。

 

そして、最後の broken Hallelujah

歪んだハレルヤ。

曲の冒頭では、あれほど幸せの合言葉のように語られた「ハレルヤ」が

最後には、冷たく冷え切って、歪んだものになってしまう。

これはとっても現実的なお話…。

愛によって傷つき、神からも裏切られたような気持ちになったんだろう。

 

ちなみに、かの有名なTime誌はこの曲を「人間の根源を包括した小さな胞子のよう

に大切に扱っていて、風にはためく白帆のように、彼の歌声は歓喜と悲哀の間(between glory and sadness)を揺らめきながら優美に歌い上げている。これは、今世紀における最も偉大な曲のひとつである」と絶賛している。

 

この曲には聖書に出てくるお話を彷彿とさせる内容もあって

少しゴスペルの要素も入っているんだと思うけれど、

宗教的な解釈は今回は割愛。

そこも追及したら、宗教観における深い意味があって、

解釈が違ってくるかもしれないけれど。

個人的にはこれ以上追及すると、果てがないような気がして。(という言い訳)

 

今日もまたこうやって自分の頭の中であれこれ張り巡らせ、

曲が抱いている世界観に浸っているのでした。

 

 

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