放浪の向こう側 Another World

海外放浪記/洋楽翻訳/個人コラム

奇跡の洋食屋さん 

そのお店は、駅に隣接した店舗で3階にある。

店舗というか、実は百貨店でありながらも

3階にはこの洋食屋さんのみで、他のテナントは随分前に撤退してしまったようだ。

 

ガランとしたスペースの奥に、こじんまりと構えているこのお店。

懐かしの食品サンプルがショーケースに飾られていて、

店に入る前から、既に昭和ノスタルジーの世界観が広がっている。

不思議な小説か、ちょっと夢の中に出てきそうな佇まいだ。

 

店に入ると、そこは古き良き昭和の舞台だった。

高齢のご夫婦できりもりされているこのお店。

御主人が料理を作り、奥さまが接客をしている。

空気感が、お店というよりも、家庭という温かさ。

席に着いてカニクリームコロッケとハンバーグにライス付きを注文した。850円。

 

それは、今まで食べたことのない味だった。

 

カニクリームコロッケの中の、カニのしっかりとした存在感。

濃厚なのに、もたついていないクリーム。

付け合せのサラダの野菜が生きている。

花形に切り取られたニンジンがちょこっと添えられて。

ケチャップのスパゲティが絶妙な味加減で。

ハンバーグも素朴で優しいお母さんの味。

 

すべて総称すると家庭的という言葉に落ち着くのだけど 

優しい味とか、そうゆう意味ではない。

 

あの方たちは、ご自身の愛するご家族にも

きっと同じものを食卓に出されているんだろうなぁと

大袈裟かもしれないけれど、分け隔てない優しさを感じた。

料理というものに、感情って乗り移ることができるんだなと。

 

 

ファミレスはファミレスのマニュアル的な味、

おいしい有名な洋食屋さんは、それはそれで安定感があるが

どこか似通った味。

 

でもこのお店は、そのどこにも属さないような

おいしさ。

 

そうゆうお店って今はとても稀有だと思う。

 

昔はこうゆう食堂がたくさんあったのかな。

ファミレスやチェーン店が台頭し始めてから生まれた世代の私にとっては

昔見た懐かしい風景ではないけれど、何か込み上げてくるものがあった。

私以外のお客は、一人で来ている中年男性が多かった。

きっと懐かしさを感じる場所が、誰だって必要なんだ。

 

今や、少し前のカフェブームから始まって

オーガニック自然食ブーム、そしてSNSの普及で

インスタ映え”なる言葉が流行りだし、インパクトのある写真をアップして

いかに注目を浴びるかが外食業界を盛り上げている。

 

芸術作品のような美しい料理は、見る人の心を豊かにするし

素適なものだと思うが、ただバカでかいボリュームを売りにしたり

どう考えても食べきれないような量の盛り付けで奇をてらったり。

食べ物を粗末にしていて、食べ物に対しての愛情を全く感じられないし

見ていて痛々しい気持ちになる。

 

食が豊かになるってこんなことなんだろうか。

食が豊かになったことの副産物が、こんなことなのだとしたら

それはただただ悲しい。 

 

ただ食べ物を美味しく頂く、ということに満足できなくなってしまった

人々の心のさもしさか

フランチャイズ業界台頭による競争激化によるものか

いつしか、外食することになにかしらの付加価値を付けるようになってしまった。

 

余剰な豊かさはいつも弊害を招き、本質を見失ってしまう。

 

目の前にある料理を味わうこと

人とのコミュニケーション

その空間そのものを感じること

そして一番大切な、料理を作ってくれた人への感謝の気持ち

 

悲しいことに、一時の使い捨てのお店だけが増えていく。

それはどんどん形骸化しつつあるこの国の体制そのものを

よく表しているなぁと、感心すらしてしまう。

 

いまや食を楽しむという原点から

どんどん遠ざかっているように感じる。

 

そんな世間の流れに媚びることなく、かといって張り合うわけでもなく

優しさをひっそりと守り続けているこのお店に

ただただ尊敬の気持ちでいっぱいになった。

 

おいしいお料理を、温かく優しい空気の中で味わう。

そんな当たり前のことが、この時代には奇跡に近いことになっているように感じた。

 

だから、このお店は私の中で奇跡の洋食屋さん。

 

どうかどうか、これからもお元気で

長く続いてほしいな。