放浪の向こう側 Another World

海外放浪記/洋楽翻訳/個人コラム

海外逃避の効能 その内省性~やや抽象的な考察~

 振り返れば、今から約4年前ー。

 

漠然とした人生に対する憤り感により、それまで勤めていた会社を辞めた。

生活を一変させるための冒険ということで、目的地はオーストラリアだ。

働きながら海外を放浪できるという夢のようなワーキングホリデー(ワーホリ)という制度の切符を手にした。

まもなく三十路になる手前のことだった。

 

オーストラリアー。

 

常に空は高く、乾いていた。

その空の青は地球を純粋に感じられる程澄んでいて

文字通り、心が洗われた。

 

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オーストラリア南部カンガルー島の海岸にて 雲踊る空

 

2年間。

 

大なり小なりの波に揉まれて、戯れて

どんぶらこどんぶらこと辿り着いた先。

そしてあの七転八倒した日々。あれは一体なんだったのだろうか。

今ふと振り返ってみた。

 

まず初めに、

ワーホリ=自分探しという幻想があった。

アラサ―女、自分自身がよく分からなくなる→海外で自分を見つめてみたい

という単純構図からのスタート。

 

結論から言うと、日本に居た時よりも自分自身がよく分からなくなった。

 

その1つの理由として、

海外生活においては、強さと弱さのメンタルバランスが大きく揺らぐ

という点があるのではないかと考える。 

 

オープンな環境の海外では、日本にいる時より大胆不敵になる(傾向が強い)。

それは酒を飲んで気持ちが大きくなるのに少し似ている気がする。

 

それとは反比例するかのごとく、弱さというものはより繊細でナーバスなものになる。

その背後には、孤独・異文化・劣等感その他もろもろなるものが足を引っ張っている。

 

(そもそも、それも自分の意識下のことなのだけれど)

 

強さは無意味に肥大する一方で、容赦なく弱さは露呈される。

弱さと強さの乖離現象とでも呼ぼうか。

振れ幅が大きくなる分、これには心も消耗した。

 

思えば日本でOLをしていた頃は、コンフォートゾーンばかりを求めていた。

そんな生ぬるい環境においては、自分の弱さに絶望することも

はたまた自分の可能性に想いを馳せることもなかった。

 

そして海外という非日常に身を置くことによって、

私の自我は最大の転機に直面したのだった。

 

それは”生きる”という体験を凝縮させた日々だった。

強さと弱さが両極に大きく振れることで、本当の意味での中道を知ることになる。

 

 それはコンフォートゾーンへの回帰とは違う意味での真ん中の世界。

確かな軸となったのだ。

 

当時、自分の中の両極を彷徨い残した足跡は物語となり、

今も心の中でひっそりと息づいている。

そしてその時体感した価値観というものは、私の中で無数の小窓となった。

いつでもその景色を取り出せるような。

その小窓のおかげで、メンタル的にもマインド的にも風通しが良くなった。

 

私にとっての渡航

その効能は帰国してしばらくたった今も、確かに感じている。

自分探しの特効薬とはならなかったが、この先ずっと携えていく指標となり

年を増すごとに根付きが深くなっていくのだった。