オーストラリアでエビ漁船に乗った話 現代版フォレスト・ガンプの世界
それは私がワーホリでオーストラリアに来て、3ヶ月程経った時のことである。
ラウンドに出発してまもない頃に体験した仕事だ。
(ここで言うラウンドとは、一か所に留まらずオーストラリア全土を旅するという意味)
舞台は偶然降り立った、カナーボンという小さな港町。
パースから北へ車で10時間ほどの距離にある場所だ。
バッパー(安宿、バックパッカーの略)に着いた翌日の朝、そろそろ仕事探さなきゃなぁ~と考えながら共同キッチンで朝食の準備をしていた。
すると、そのバッパーの女主人が「あんた、エビ釣り漁船に乗りたいか
い?」と突然聞いてきた。
え…!?
仕事が舞い込んできた喜びと、エビ釣り漁船という想像の枠を超えた職種に対する謎。
私の頭の中では、一瞬にしてビックリマークとハテナマークが交差した。
それでも思ってもいないチャンス到来にテンションが上がり、
なによりエビ釣り漁船という未知なる仕事への好奇心が手伝って
「おお!乗ります!乗りたいです!」
と二つ返事でオッケーした。
他に参加者は、同タイミングで居合わせた、同じくバッパーに宿泊していたフランス人、ヴィンセントだ。
出発はなんと2時間後の昼12時。必要なもの(着替え、洗面用具など)を持ってリビングに集合。10日間の航海で寝床と食糧はあてがってもらえるとのこと。
私たちは近くの必需品の買い出しのため、近くのスーパーへ急いだ。
ヴィンセントはスポーツ用品店で上下フリースを揃え、サングラスまで購入するという気合の入りようだった。
私は身なりよりなにより船酔いが心配だったので、一番効きそうな強めの酔い止めを購入した。
ここで乗り組み員をご紹介したい。
まず、船長、漁師のパトリック、ダニエル、ドウェインだ。
ダニエルはぶっきらぼうだが、ドウェインは優しそうで少し寂しげな表情をしていた。
パトリックは副船長のようだった。
ちなみに全員オージーである。
私の仕事は主に、乗り組み員達の食事の準備と、釣り上げられた魚介類から特定のエビを仕分けるといった内容だった。
ヴィンセントは漁師達と常に行動を共にし、主に力仕事を担うようである。
そして10日間の航海中は、船上での生活となる。
夕方の4時起床、翌朝10時まで働くという昼夜逆転パターンだ。
集合時刻を迎え、まず車で向かった先はなにやら怪しげな事務所であった。
ここで初めて、エビ釣り漁船に乗るには、釣りの免許が必要という事実を聞かされる。
更には費用は自己負担であり、$87だ。
私の中で不信感が漂い始めたが、ヴィンセントは案外すんなりと受け入れていた。
私も後には引けず、何となく腑に落ちない気持ちを抱えながらも$87支払った。
港に着き、船に乗り込んだ私達を最初に出迎えてくれたのがパトリックだった。
ビール片手に既に出来上がった様子である。しきりにビールを勧めてきたが、船酔いの心配もあり、断ることにした。
そうこうしている間に船は丘を離れて、いよいよ航海の旅
(といっても仕事だが)スタート!
夕食の時間になり、さてさて早速最初の仕事である。
船の中にある小さなキッチンへと向かって料理を始めたのだが、
揺れる揺れる。
右手はフライパン、左手は流し台の取っ手をつかんでかろうじてバランスを取りながらの料理だ。
やっとの思いで作った、ただの炒め物とライスを食卓に運んだ。
まず食べ始める前に、漁師達は料理に大量のチリソースをかけていたのだが
それは目を疑う量だった。
そしてコーヒーを淹れるのも私の役目だったのだが
ティーカップ程度の容量に、必ず大匙3杯の砂糖を入れるように言われた。
味覚が完全にイカれている…
この先10日間、この味覚が崩壊したメンバーと共におとどけすると思うと気が重かったが、文字通り乗りかかった船、もう後には引けない。
このようにインパクト強めの幕開けで不安な気持ちは否めなかったが
夕方、デッキで見た夕日の美しさや間近で見るイルカ達の群れに感動し目の前が明るくなる。
これからとんでも荒修行を体験することになるとは、露とも知らず
夕日とイルカが見せてくれた美しさの余韻を感じながら寝床についたのだった。
2日目。
あろうことか、酔い止めを飲み忘れた。
気づいた時にはもう遅く、吐き気と戦いながら、なんとか朝食を作り終えるが
気持ち悪さがピークに達していた。
しかし、ここは漁師の世界。
船酔いしたからとて、ゆっくり休ませてもらえるほど甘くはない。
料理の後はエビの仕分けだ。
船酔いが全身をフィーバーしている中で、生臭い魚介類を掻き分けてエビを仕分けする作業は修行と思うほかなかった。
その時だ。 今まで味わったことのない、小さく鋭い痛みがゴーンと全身を走った。何かに刺されたらしい。ゴム手袋を取ると、刺された指先から血が流れているではないか!
そして、徐々に指が痺れて脈打つごとにズキズキと痛む。
こ、これは全身に毒が回っているのでは…!!
パニックになった私は隣にいたドウェインに訴えた。
ドウェインは言う。
「これはストーンフィッシュという魚で、刺された時に痺れるのはバクテリアのせいだから安心しろ」と。
そして、まぁこれでも食べろとミントキャンディーをくれた。
バクテリアだから安心なのかはさておき、とりあえず無毒であることを確認して
果たして大丈夫なのか何なのか分からないまま、悶々とする気持ちの中
作業を続けた。
それからも注意はしているものの、眠気と吐き気と朦朧とする意識の中で
何度がストーンフィッシュの攻撃にあい、その度に半泣きになっていた。
船のデッキにはマリリン・マンソンが爆音で流れており、味覚だけではない、聴覚も崩壊しているのか…
とここまでくると普通じゃない生活がここでの常識となっていることを悟る。
この熟睡できそうもない空気の中で寝床についたのだった。
3日目。
とうとう起き上がれないくらい容態が悪化し、
私はトイレとベッドをただ往復するだけの廃人と化した。
同室のドウェインが気遣ってくれ、彼が運んでくれたフルーツなどを食べて
なんとか生息していたように思う。
4日目。
船長は私の状態を見るに見かねて、船は再び丘へと戻る。
こうして私の航海はあっさりと幕を閉じたのだった。
漁師たちの食事の世話をするはずだった私は、
船酔いにより使い物にならず、漁師に介抱されて、
ほうほうの体で陸へと戻ってきた。
ヴィンセントも船酔いこそしなかったものの、
「もうこんな場所にはいられない」といい、私と一緒にリタイアすることに。
彼から聞いた話では、漁師達はドラッグでテンションが終始おかしく
少しでも休んでいたら殴るぞと脅されたのだ。
男たちの現場は更に過酷だったようだ。
今回の荒修行により、もしかしたら船酔いが克服されたのじゃないか
と淡い期待をしていたが、悲しくもその逆で私の船酔いはこの件を境に悪化したのであった(苦笑)きっと三半規管もびっくりしたに違いない。
ちなみに給料はというと、陸に戻るために使われたガソリン代で帳消しになり
インチキ釣り免許の87ドルでむしろ支出となったが
とにもかくにも、エビ漁船から無事に帰ってこれたというだけで恩の字である。
後になれば、このようにして珍エピソードして語れることになったのだから。