放浪の向こう側 Another World

海外放浪記/洋楽翻訳/個人コラム

ヨガ 本当の目覚め

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ヨガと初めて出会ったのは、もう10年近く前のことだ。

OLになって間もない頃、アフターファイブの習い事の代名詞とも言える

ヨガ教室に通い始めた。

その当時からホットヨガ、岩盤ヨガなど、エクササイズ感覚のヨガが

OL界では人気の習い事だった。

 

好奇心旺盛なミーハーOLの一人だった私は、ヨガにピラティス

キックボクシングと様々な習い事に時間とお金を投じていた。

ファッション感覚なカジュアルなヨガから

もう少し踏み込んだヨガの世界を知りたくて、

別のヨガ教室に移った。

 

しかし、まだその時はヨガというものの真髄に触れるという体験はなかった。

当時はとにかく自由になりたい、リラックスしたいという思いが強く

最後までその域を出ることはなかったためか。

私の意識は真理の道を目指すには、

遠すぎたのだと思う。

 

いつだって主観的な観念ばかり持ち続けていては

新しい世界が入ってこないのだ。

物事の「その先の世界」を見るためには

俯瞰して、自我を越えていかなくてはいけない、と思う。

 

それから4年間、私はすっかりヨガから遠ざかってしまった。

 

今、再び始めるきっかけとなったのは、

昔通っていたヨガ教室で知り合った一人の素適な女性からのアドバイスだった。

 

再びヨガに通い始めて約2ヶ月が経とうとしている今、

ヨガへの本当の目覚めが起きている。

 

開かれる感覚というのを、内側から実感したのは初めてだった。

ヨガは筋肉を締めたり緩めたり、ポーズをぐっとホールドしたり、解放したり

ボディをフル活用して感覚に意識を向ける。

よく言われていることだけれど、「今」を感じることがヨガの目的だ。

そしてどんなポーズをとっていても 

当たり前に存在している「呼吸」を忘れないこと。

 

心と体がつながっている感覚を取り戻して、

その先にあるものを見てみたいと思う。

 

海外生活を終え、開かれた世界であり風通しの良い社会

オーストラリア・ニュージーランドの余韻を残しながら帰国した。

我が国日本は、お世辞にも開かれた社会とは言えない。

むしろ保守的で、閉鎖的な文化だ。

 

オーストラリア・ニュージーランドで、心がオープンになれたのは

開放的でフレンドリーな環境が、外側からいざなうように私を解放してくれたからだ。

 

日本に帰国しても、しばらくその魔法は効いているが

またどっぷりと日本の空気に染まってしまうと、元の木阿弥で

また魂が委縮していくのを感じるのだった。

 

つまり、それは本当の解放ではなかったのだ。

海外における一つの作用で、悪く言えば海外かぶれである。

 

ここで、日本はだめでやっぱり海外がいい!

ということが言いたいわけではないし、

海外に行った意味がなかったということでは決してない。

 

私の場合は海外生活を経験したからこそ、

一旦自分の枠組みを壊すことで自由になれたし

心をオープンにするという感覚を知ることができた。

 

そしてこれからの課題は、外側の環境に頼らずして

本当の自分が、オープンで心が解放されている感覚を掴むことである。

ヨガは私をその開かれた世界へ、そっと導いてくれているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Spontaneousに生きる  開かれた世界で 旅人同士の人間関係

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DarwinのMindi beachにて オランダ・アメリカ・オーストリアからの旅人たちと

 

私の好きな英語の単語で、spontaneous (スポンティニアス)という言葉がある。

外側からの強制的な力が加わっていない、自然発生的なという意味なのだが

 

心おもむくまま流れるように、オーストラリアを旅をしていた時

そこで出会った旅人との交流が、まさにそのspontaneousだった。

 

それは美しく壮大な景色をみるのと同じくらい素晴らしいもので

私の中で、一番の旅の醍醐味だったと言える。

 

写真は、オーストラリア北部ダーウィンにあるミンディ・ビーチという場所。

地元では有名なスポットで、中心街から歩いて15分くらいの距離にあり

ハイシーズンと呼ばれる乾季は、毎週末に屋台が並び

観光客はもちろん、地元の人々も多く訪れる。

 

私はちょうど乾季が始まる7月に、このダーウィンの町を訪れ

運よく仕事にありつくことができたため、しばらくこの町に住みつくことにした。

シェアハウスに移る前は1ヶ月程バックパッカーに滞在していたので

毎日代わる代わるやって来る、世界中からの旅人との交流が楽しくてしょうがなかった。

 

国籍も文化も言語も違う者同士が、偶然の流れで出会い自然に集まって

気づいたら美しい夕焼けをみんな静かに眺めていた。

それがなんとも当たり前のことのように起こるのだから

旅って偉大だなぁと思ってしまう。

 

つい数時間前までは全くの他人だったのだ。

そして数時間後にはまたそれぞれの旅路へと出発する。

 

その刹那的な一期一会は

良い余韻を残して

思い出すたびに温かい気持ちにさせてくれる。

 

洋楽翻訳 Good Riddance (Time of Your Life) -Green Day-

Green Day のGood Riddance (Time of Your Life) 

しみじみと噛みしめるたび元気が出てくる。

良い意味で万人受けする曲だと思います。

さくっと翻訳しました。

 

 

 Another turning point, a fork stuck in the road 

新しい折り返し地点に来たとき、道の真ん中に分かれ道が突き刺さっている

 

Time grabs you by the wrist, directs you where to go 

でも時の流れが強引に手を掴んで、行きべき場所に導いてくれるんだ

 

So make the best of this test, and don't ask why

だからなぜなんて問い続けるんじゃなく、

訪れる試練にとにかく全力で立ち向かえばいいよ

 

It's not a question, but a lesson learned in time 

だってそれは問題なのではなく、人生において学ぶべき教訓なのだから

 

It's something unpredictable, but in the end it's right 

時として予想だにしないことが起こるけれど

最後には正しい場所に辿り着くものさ

 

I hope you had the time of your life. 

君が人生の中で、そんな素適な時間を過ごしているといいな

 

So take the photographs, and still-frames in your mind

たくさん写真を撮って、心の写真立てに入れておこう

 

Hang them on a shelf in good health and good time 

健やかで素晴らしい日々の思い出として壁に飾ってもい

 

Tattoo's of memories and dead skin on trial 

古い肌に刻まれたタトゥーは、試練から得た勲章みたいなもの

 

For what it's worth, it was worth all the while 

その価値は生涯ずっと変わらず大切なものになるのだから

 

※It's something unpredictable, but in the end it's right 

 I hope you had the time of your life

時として予想だにしないことが起こるけれど

最後には正しい場所に辿り着くものさ

君が人生の中で、そんな素適な時間を過ごしているといいな

 ※繰り返し×2

 

洋楽の翻訳って、どうしても貼り付けたように

無機質な文体になりやすい気がして。

原語で感じた感動を、そのまま日本語に載せて

一人でも多くの人と感覚を共有できたらいいなと思い

洋楽の翻訳を始めました。

 

ちなみにこの曲はギターコードもシンプルで、初心者でも弾きやすい♪

【Intro and Verse 1】 G / Cadd9 / D

【Verse 2】                Em / D / Cadd9 

【Chorus】                Em / G / Em / G

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オーストラリアで偶然辿り着いた宿が元刑務所だった件

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オーストラリアの主要都市、メルボルンンとアデレードのちょうど中間地点に

マウント・ガンビアという町がある。

 

ここでの見所はブルーレイクという、その名の通り青い湖だ。

これがまたシンプルな名前から想像する以上の鮮やかさで

目の覚めるような、空よりも青い。

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この青の正体は、湖の中に蓄積された石灰石の中に青色を強く反射する物質が含まれており、空の青さを反射しているからだという。

更には、季節によって青色が変化するのだとか。

11月から2月頃(南半球では夏)がもっとも鮮やかなブルーがみられるそうだ。

ちなみに私が訪れたのは2月の半ばであった。

 

このさわやかな湖を後にして、行き当たりばったり辿り着いた宿は

元刑務所というバックパッカーだった。

重々しい門をくぐると中は更に頑丈な塀に囲まれており、建物がいくつかの棟に分かれている。

 

小さな教会、宿泊棟、談話室、キッチンがあった。

建物内のいたるところに受刑者の説明や、

ご丁寧にも服役中に自殺した受刑者の名前まで記されている。

夜中に一人でトイレに行けるかどうか心配になる。

 

肝心な宿泊部屋はというと、なんともこぎれいで

拍子抜けする程さっぱりしていた。

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しかし中には窓がまったく無い、Cellと呼ばれる独房タイプの部屋もあり、

より監獄気分を味わえるようだ。興味のある方はぜひ。

 

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より詩的な洋楽の和訳 「The Rose」Bette Midler  

言わずと知れた、ベット・ミドラーの名曲「The Rose」です。

初めてこの曲を聞いた時の感動を表現するために

より詩的に和訳してみました。

 

Some say love, it is a river, that drowns the tender reed

ある人はこう言うだろう

愛とは、か弱い葦(あし)のような儚い存在を溺れさせてしまう

川のようなものだと

 

Some say love, it is a razor, that leaves your soul to bleed

または、あなたの魂を傷つける、鋭どい刃物のようでもある

 

Some say love, it is a hunger an endless aching need 

そして絶え間ない苦しみを伴う飢饉のようであるとも

 

I say love, it is a flower, and you, its only seed 

しかし私はこう言うだろう

愛とは花のようなものであり、あなたはその種子なんだよと。

 

Its the heart afraid of breaking that never learns to dance 

傷つくことを怖がるばかりで心が頑なになっていては

自由に踊ることはできない。

 

Its the dream afraid of waking, that never takes the chance 

夢から覚めないでと願うばかりでは、

チャンスを掴むことはできないんだ。

 

Its the one who won't be taking, who cannot seem to give

そして受け取ることに抵抗を感じている人ほど

何かを人に素直に与えることができなくなってしまっている。

 

And the soul afraing of dying, that never learns to live

魂が死を恐れてばかりいては、本当の意味で生きるということを学べないんだよ。

 

When the night has been too lonely and the road has been too long 

独りぼっちで夜が震えるほど寂しくて、道がとてつもなく長く感じる時

And you think that love is only for the lucky and the strong 

愛なんて所詮恵まれていて、

心が強い人のためだけに存在する言葉なんだって思ってしまうよね。

 

Just remember in the winter, far beneath the bitter snows

でもそんな時は思い出してほしいんだ

厳しい冬、冷たい雪のはるか地中深くには

Lies the seed, that with the sun's love in the spring becomes the rose

じっと横たわっている種子がいて

太陽という名の愛の光によって、春にはバラの花を咲かせるのだということを。

 

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オーストラリアでエビ漁船に乗った話 現代版フォレスト・ガンプの世界

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それは私がワーホリでオーストラリアに来て、3ヶ月程経った時のことである。

ラウンドに出発してまもない頃に体験した仕事だ。

(ここで言うラウンドとは、一か所に留まらずオーストラリア全土を旅するという意味)

 

舞台は偶然降り立った、カナーボンという小さな港町。

パースから北へ車で10時間ほどの距離にある場所だ。

 

バッパー(安宿、バックパッカーの略)に着いた翌日の朝、そろそろ仕事探さなきゃなぁ~と考えながら共同キッチンで朝食の準備をしていた。

すると、そのバッパーの女主人が「あんた、エビ釣り漁船に乗りたいか

い?」と突然聞いてきた。

 

え…!?

 

仕事が舞い込んできた喜びと、エビ釣り漁船という想像の枠を超えた職種に対する謎。

私の頭の中では、一瞬にしてビックリマークとハテナマークが交差した。

 

それでも思ってもいないチャンス到来にテンションが上がり、

なによりエビ釣り漁船という未知なる仕事への好奇心が手伝って

「おお!乗ります!乗りたいです!」

と二つ返事でオッケーした。

 

他に参加者は、同タイミングで居合わせた、同じくバッパーに宿泊していたフランス人、ヴィンセントだ。

 

出発はなんと2時間後の昼12時。必要なもの(着替え、洗面用具など)を持ってリビングに集合。10日間の航海で寝床と食糧はあてがってもらえるとのこと。

私たちは近くの必需品の買い出しのため、近くのスーパーへ急いだ。

 

ヴィンセントはスポーツ用品店で上下フリースを揃え、サングラスまで購入するという気合の入りようだった。

私は身なりよりなにより船酔いが心配だったので、一番効きそうな強めの酔い止めを購入した。

 

ここで乗り組み員をご紹介したい。

まず、船長、漁師のパトリック、ダニエル、ドウェインだ。

ダニエルはぶっきらぼうだが、ドウェインは優しそうで少し寂しげな表情をしていた。

パトリックは副船長のようだった。

ちなみに全員オージーである。

 

私の仕事は主に、乗り組み員達の食事の準備と、釣り上げられた魚介類から特定のエビを仕分けるといった内容だった。

ヴィンセントは漁師達と常に行動を共にし、主に力仕事を担うようである。

そして10日間の航海中は、船上での生活となる。

夕方の4時起床、翌朝10時まで働くという昼夜逆転パターンだ。

 

 

集合時刻を迎え、まず車で向かった先はなにやら怪しげな事務所であった。

ここで初めて、エビ釣り漁船に乗るには、釣りの免許が必要という事実を聞かされる。 

更には費用は自己負担であり、$87だ。

私の中で不信感が漂い始めたが、ヴィンセントは案外すんなりと受け入れていた。

私も後には引けず、何となく腑に落ちない気持ちを抱えながらも$87支払った。

 

港に着き、船に乗り込んだ私達を最初に出迎えてくれたのがパトリックだった。

ビール片手に既に出来上がった様子である。しきりにビールを勧めてきたが、船酔いの心配もあり、断ることにした。

 

そうこうしている間に船は丘を離れて、いよいよ航海の旅

(といっても仕事だが)スタート!

 

夕食の時間になり、さてさて早速最初の仕事である。

船の中にある小さなキッチンへと向かって料理を始めたのだが、

揺れる揺れる。

 

右手はフライパン、左手は流し台の取っ手をつかんでかろうじてバランスを取りながらの料理だ。

やっとの思いで作った、ただの炒め物とライスを食卓に運んだ。

 

まず食べ始める前に、漁師達は料理に大量のチリソースをかけていたのだが

それは目を疑う量だった。

 

そしてコーヒーを淹れるのも私の役目だったのだが

ティーカップ程度の容量に、必ず大匙3杯の砂糖を入れるように言われた。

 

味覚が完全にイカれている…

この先10日間、この味覚が崩壊したメンバーと共におとどけすると思うと気が重かったが、文字通り乗りかかった船、もう後には引けない。

 

このようにインパクト強めの幕開けで不安な気持ちは否めなかったが

夕方、デッキで見た夕日の美しさや間近で見るイルカ達の群れに感動し目の前が明るくなる。

 

これからとんでも荒修行を体験することになるとは、露とも知らず

夕日とイルカが見せてくれた美しさの余韻を感じながら寝床についたのだった。

 

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船のデッキから見た夕日 



2日目。

あろうことか、酔い止めを飲み忘れた。

気づいた時にはもう遅く、吐き気と戦いながら、なんとか朝食を作り終えるが

気持ち悪さがピークに達していた。

 

しかし、ここは漁師の世界。

船酔いしたからとて、ゆっくり休ませてもらえるほど甘くはない。

料理の後はエビの仕分けだ。

 

船酔いが全身をフィーバーしている中で、生臭い魚介類を掻き分けてエビを仕分けする作業は修行と思うほかなかった。

 

その時だ。 今まで味わったことのない、小さく鋭い痛みがゴーンと全身を走った。何かに刺されたらしい。ゴム手袋を取ると、刺された指先から血が流れているではないか!

そして、徐々に指が痺れて脈打つごとにズキズキと痛む。

こ、これは全身に毒が回っているのでは…!!

パニックになった私は隣にいたドウェインに訴えた。

 

ドウェインは言う。

「これはストーンフィッシュという魚で、刺された時に痺れるのはバクテリアのせいだから安心しろ」と。

そして、まぁこれでも食べろとミントキャンディーをくれた。

バクテリアだから安心なのかはさておき、とりあえず無毒であることを確認して

果たして大丈夫なのか何なのか分からないまま、悶々とする気持ちの中

作業を続けた。

 

それからも注意はしているものの、眠気と吐き気と朦朧とする意識の中で

何度がストーンフィッシュの攻撃にあい、その度に半泣きになっていた。

 

 

船のデッキにはマリリン・マンソンが爆音で流れており、味覚だけではない、聴覚も崩壊しているのか…

とここまでくると普通じゃない生活がここでの常識となっていることを悟る。

 

この熟睡できそうもない空気の中で寝床についたのだった。

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船のデッキはこんな感じ



 

3日目。

とうとう起き上がれないくらい容態が悪化し、

私はトイレとベッドをただ往復するだけの廃人と化した。

同室のドウェインが気遣ってくれ、彼が運んでくれたフルーツなどを食べて

なんとか生息していたように思う。

 

4日目。

船長は私の状態を見るに見かねて、船は再び丘へと戻る。

こうして私の航海はあっさりと幕を閉じたのだった。

漁師たちの食事の世話をするはずだった私は、

船酔いにより使い物にならず、漁師に介抱されて、

ほうほうの体で陸へと戻ってきた。

 

ヴィンセントも船酔いこそしなかったものの、

「もうこんな場所にはいられない」といい、私と一緒にリタイアすることに。

彼から聞いた話では、漁師達はドラッグでテンションが終始おかしく

少しでも休んでいたら殴るぞと脅されたのだ。

男たちの現場は更に過酷だったようだ。

 

今回の荒修行により、もしかしたら船酔いが克服されたのじゃないか

と淡い期待をしていたが、悲しくもその逆で私の船酔いはこの件を境に悪化したのであった(苦笑)きっと三半規管もびっくりしたに違いない。

 

ちなみに給料はというと、陸に戻るために使われたガソリン代で帳消しになり

インチキ釣り免許の87ドルでむしろ支出となったが

とにもかくにも、エビ漁船から無事に帰ってこれたというだけで恩の字である。

 

後になれば、このようにして珍エピソードして語れることになったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海外逃避の効能 その内省性~やや抽象的な考察~

 振り返れば、今から約4年前ー。

 

漠然とした人生に対する憤り感により、それまで勤めていた会社を辞めた。

生活を一変させるための冒険ということで、目的地はオーストラリアだ。

働きながら海外を放浪できるという夢のようなワーキングホリデー(ワーホリ)という制度の切符を手にした。

まもなく三十路になる手前のことだった。

 

オーストラリアー。

 

常に空は高く、乾いていた。

その空の青は地球を純粋に感じられる程澄んでいて

文字通り、心が洗われた。

 

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オーストラリア南部カンガルー島の海岸にて 雲踊る空

 

2年間。

 

大なり小なりの波に揉まれて、戯れて

どんぶらこどんぶらこと辿り着いた先。

そしてあの七転八倒した日々。あれは一体なんだったのだろうか。

今ふと振り返ってみた。

 

まず初めに、

ワーホリ=自分探しという幻想があった。

アラサ―女、自分自身がよく分からなくなる→海外で自分を見つめてみたい

という単純構図からのスタート。

 

結論から言うと、日本に居た時よりも自分自身がよく分からなくなった。

 

その1つの理由として、

海外生活においては、強さと弱さのメンタルバランスが大きく揺らぐ

という点があるのではないかと考える。 

 

オープンな環境の海外では、日本にいる時より大胆不敵になる(傾向が強い)。

それは酒を飲んで気持ちが大きくなるのに少し似ている気がする。

 

それとは反比例するかのごとく、弱さというものはより繊細でナーバスなものになる。

その背後には、孤独・異文化・劣等感その他もろもろなるものが足を引っ張っている。

 

(そもそも、それも自分の意識下のことなのだけれど)

 

強さは無意味に肥大する一方で、容赦なく弱さは露呈される。

弱さと強さの乖離現象とでも呼ぼうか。

振れ幅が大きくなる分、これには心も消耗した。

 

思えば日本でOLをしていた頃は、コンフォートゾーンばかりを求めていた。

そんな生ぬるい環境においては、自分の弱さに絶望することも

はたまた自分の可能性に想いを馳せることもなかった。

 

そして海外という非日常に身を置くことによって、

私の自我は最大の転機に直面したのだった。

 

それは”生きる”という体験を凝縮させた日々だった。

強さと弱さが両極に大きく振れることで、本当の意味での中道を知ることになる。

 

 それはコンフォートゾーンへの回帰とは違う意味での真ん中の世界。

確かな軸となったのだ。

 

当時、自分の中の両極を彷徨い残した足跡は物語となり、

今も心の中でひっそりと息づいている。

そしてその時体感した価値観というものは、私の中で無数の小窓となった。

いつでもその景色を取り出せるような。

その小窓のおかげで、メンタル的にもマインド的にも風通しが良くなった。

 

私にとっての渡航

その効能は帰国してしばらくたった今も、確かに感じている。

自分探しの特効薬とはならなかったが、この先ずっと携えていく指標となり

年を増すごとに根付きが深くなっていくのだった。